2歳になる息子と0歳で生まれたばかりの娘の2児の父となりました。今回は、2ヶ月の育児休暇を取得した経緯について書きたいと思います。
育児休暇を取得するにあたって、第一子の出産で妻の負担と疲労感を目の当たりにして、私も妻も第二子を望むのであれば育児休暇は必須だという考えで一致していました。
第一子では、妻に切迫早産の危険性があったため、長期間の入院がありました。また、分娩時にはなかなか生まれてこなかったこともあり、産後のダメージも大きかったです。
当時の私は仕事をしながら自分なりに精一杯できることをしていたつもりでしたが、今になって考えてみれば全くのダメダメでした。例えば、妻は母乳が足りない分は粉ミルクを使用していました。そのため、夜間の授乳では粉ミルクを作って飲ませることが多かったのですが、その授乳を私が1回でもやっただけで、私は物凄い体力と精神を使って大きな貢献をしたからすごいだろう!育児して頑張っているだろう!なんて思っていました。2人目が生まれて、粉ミルクを作って飲ませていますが、今になって思えば、レンジで瓶の除菌まで済ませた後に、「あれ、そういえば第一子の時はなんでこれがあんなに大変なことだろうと思っていたのか、、、」と気づきました。
育児休暇を取得するにあたっては、上司に第二子では育児休暇を取得させていただくということをあらかじめ伝えていました。まだ予定のない時から伝えていましたので、この人は育児休暇を取る人なんだなーと思ってもらうだけでもいいかなぁという感じでした。妊娠がわかったのは昨年の12月なので、その時にあらためて上司に伝え、育児休暇の取得時期を逆算し、4月の人事を調整していただくように強く要望しました。結果的には自分の仕事量は何も変わりませんでした(逆に増えました)が、環境を調整していただき、私が抜けた後でも仕事が回るように引き継げる人を配置していただけました。おかげさまで、現在は何の気兼ねもなく育児休暇を取得することができています。(ちょくちょく職場から連絡は来ますが。)
2ヶ月という期間にした理由は、年度内に仕事復帰したかったということ。また、妊娠後に身体が回復するまでの期間がおよそ2ヶ月らしいということです。あと、給料的な面もあります。
実際に育休を取得して、できる限りの育児と家事をやっていますが、あらためて、第一子の妻の生活は壮絶だったのだと感じました。10ヶ月間もお腹に命を宿したまま生活し、壮絶な痛みを伴う分娩を経験、産後は大きなダメージが残る中で小さな命を24時間休むことなく気を揉みながら生活し(3時間おきの授乳、謎のうめき声などなど数えきれない心配事)、その上さらに家事をこなす(私は朝の7時出勤19時帰宅でした)のは、どう考えてもキャパオーバーです。私は、分娩することもなくピンピンしていますが、それでも授乳以外のことを全てやろうとするとテンテコ舞いです。今はイヤイヤ期真っ只中の長男もいますが、妻と娘がいるお陰で毎日を楽しく過ごすことができています。
これからは、育児休暇中にあった出来事を中心にブログを更新していきたいと思います。