公教育が家庭教育を放り投げると今後の日本の教育は終わってしまうのではないかという話
公教育が家庭教育を放り投げると今後の日本の教育は終わってしまうのではないかという話

公教育が家庭教育を放り投げると今後の日本の教育は終わってしまうのではないかという話

2児の親になって思うこととして、題名のことがあります。家庭教育で担うべきことが学校教育に任せられるようになってきて負担が大きい。学校教育の範疇を超えて教員は大変だから、家庭で担うべき教育は家庭でお願いします。っていう話を10年くらい前から聞いていたような気がします。例えば、小学校でいえば箸の持ち方、鉛筆の持ち方、一般的な礼儀、マナーなど、中学校でいえば友人関係の作り方、けんかした時の仲直りの仕方、スマホでのトラブル回避などなどです。

しかしながら、いわゆる「お勉強」的な部分に集中して学校の教育が実施されるようになり、他の生活面的な教育が徐々にそぎ落とされて行って、業務のスリム化がなされていったときに、今までは家庭教育で担うべきような要素まで面倒を見てくれていた先生方が少なくなり、家庭でも公教育でも教育されないまま育っていってしまう子どもたちが増えていってしまうような気がします。

そうするとどうなるかというと、そういった家庭教育で担われるものって生きていくうえでとっても重要なことだったりするので、不適応を起こすようになってしまうと思うのです。つまるところの不登校の増加です。

特に、新型コロナの影響で密な人間関係を経験せず、もまれてこなかった子どもたちは、人間関係の形成能力や調整能力が著しく低下(成長しないまま)した状態でいる感じがします。

そこで、先生方が親身になって相談にのってあげて、子どものそういった部分を伸ばしてあげることができればいいのですが、なんだか現場はそういった雰囲気とは逆向きになっているのような感じがします。いままでは熱血先生がたくさんいて、朝から夜遅くまで生徒のことを考えて動き回っていた先生方のお陰で限界を迎えながら終焉を迎えた家庭教育をも含む公教育が、定時退勤推奨、育休産休取得、再任用増加、教員志望者の減少などなど、そして新型コロナを経験して仕事のみに打ちこむという価値観・教師観の変化から、必要最低限の教育は行うけども、それ以上のこと、例えば学校外のことなどはご家庭でお願いしますというスタンスが強まっているような気がします。

そうなってくると、これから衰退していく日本にとっては、かなり厳しい現実が待ち構えています。核家族の増加、共働き世帯の増加、片親世帯の増加から家庭の教育力は低下しているでしょう。そのうえで、学校教育がそれを担わないとします。それを補うのが社会教育だとして、えてして教育困難地域の子どもたちは地域の行事に参加するなどの帰属意識が低い傾向がある気がします。ということは、家庭、学校、社会といった教育から疎外されている子どもが増加していく未来が想像できます。

ということは、それは結果的に家庭に、学校に、社会にかえってくるわけですから、時間が経つとともに環境は厳しくなっていきますし、裕福な家庭は経済力を教育力に変えることができますから、二極化していくことになります。

今求められているのは、”生きる力”だとして、今一度、子どもたちの置かれている状況にデータと危機感を持ちながら、一体感を持った教育方針を立てる必要があるんじゃないかなと感じます。たとえ、それが「家庭が本来は担うことでしょう」と誰もが思いそうな方針となってしまったとしても、それが必要な学校や地域は存在していますし、増加していくんじゃないかと思うわけです。

データとかには全く基づいていないし、思ったことを書いているだけなので信ぴょう性はないですが、最近の子どもたちや先生方の様子を見ているとそんなことを思わずにはいられません。

「嫌われる勇気」「7つの習慣」「君たちはどう生きるか」「LIFE SHIFT」「幸せになる勇気」「バビロンの大富豪」「論語」「侏儒の言葉」「ブッタとシッタカブッタ」などなど、読んだら目からうろこの本はたくさんあります。でも、こんな本を読まなくたって、大人たちは生きる術というものを子どもに教えてきたはずです。しかしながら、今やSNSやらYoutubeなど、子どもは個人で情報を収集することができます。大人に直接聞かなくても情報だけは入ってきます。思っている以上に、子どもは幼いです。しっかりと大人と対話してきた経験のある子どもとそうではない子どもとでは明らかに語彙数も変わってきます。

イケメン=キムタクなんていう共通した認識から、現代は個人主義、それぞれのエコシステムに属す形態になりました。だから、いまは国民的アイドルとか、国民的なんちゃらってものは存在していません。同じテレビも見ていないし、同じ雑誌も見ていません。同じクラスで共通の趣味や好きなものがある人を見つけることは困難です。共通の話題を作ることが難しいのです。選択肢が広すぎます。SNSの母数(世界)と比べて、学校の母数(せいぜい30~40)は狭すぎます。

そんなわけで、社会通念ってものが崩壊しています。それぞれがそれぞれの通念で動いており、発達段階的に自分の考えと相手の考えには差異があってどちらも尊重されるべきものであって、それを否定する人は自分も否定されるのだということがわかっていないと厳しいです。だからこそ、これだけは心にとめておかないといけないよってことがないといけません。

「人に迷惑をかけるような人にだけはなってはいけないよ」だったり、「自分のことは自分でやりなさい。人に頼るな。」だったり、人生に関わる言葉ってたくさんあったような気がします。今はそれが少ない気がします。生きる上で大切なことはなんですかって聞いたら、「金(かね)」という言葉が一番になります。金がなければ人に迷惑をかけてもいいのかと問えば、それは仕方ないっていう答えも一定数でてきてしまうでしょう。そういう現状に対応できる先生や親御さんってどのくらいいるでしょうか。なんだったら、大人でも「なぜ人に迷惑をかけてはいけないのか」という問いに対して子どもに理解させることができる人は案外少ないかもしれません。子どもは言うだけでは何も理解していませんので。

やっぱりそれを体験的に理解できていることが重要なのだと思いますが、1人でも生きていける、他人と関わらない仕事につけばいい、自分の好きなことで生きてく、なんていう情報の波にさらされていると、そういった体験をしていたとしても、問題を認識できていないままうやむやになって、成長してから不適応を起こすケースも多いんだと思います。

そんなわけで、学校教育も家庭教育を担っていけるようにするべきなんだろうなって思う話でした。


AIによる要約

私は、2児の親として家庭教育と学校教育の役割について深く考えています。10年ほど前から、学校での教育が主に「勉強」に重点を置くようになり、生活面の教育が徐々に削減されてきたことに気付きました。例えば、小学校では箸の持ち方や礼儀、中学校では友人関係の築き方やスマートフォンの使用方法など、これらは以前は学校で教えられていましたが、今は家庭での教育が求められています。

新型コロナウイルスの影響で、子どもたちは人間関係を築く能力や調整能力が低下しているように感じます。学校の教育現場も、熱心な先生が少なくなり、家庭教育の重要性が増しているのに、実際にはその役割が果たされていないように見えます。これにより、子どもたちが社会に適応するのが難しくなっているのではないかと危惧しています。

また、核家族化、共働き世帯の増加、片親家庭の増加により、家庭での教育力は低下しています。学校がこれを補う役割を果たさない場合、社会教育が重要になりますが、教育困難地域の子どもたちは社会の一部として育っていない可能性があります。

このような状況では、家庭、学校、社会が子どもたちを支える必要があります。しかし、現在の教育システムでは、経済的に恵まれた家庭とそうでない家庭との間で教育格差が広がっていると感じます。

今、私たちに求められているのは、子どもたちが「生きる力」を身に付けられるような教育方針を立てることです。家庭教育の役割が重要であると認識しつつも、学校教育もその重要性を理解し、子どもたちを全面的に支える必要があるのではないでしょうか。


英語訳版

“Reflections on the Roles of Home and School Education”

As a parent of two children, I have been deeply contemplating the roles of home education and school education. For about a decade now, I have noticed a shift in school education towards a primary focus on academic studies, with a gradual reduction in teaching life skills. For example, schools previously taught manners like how to hold chopsticks, and ways to build relationships and use smartphones responsibly. These lessons have now shifted to the realm of home education.

The impact of COVID-19 seems to have diminished children’s abilities to form and manage relationships. The educational field appears less dedicated, with fewer passionate teachers compared to the past, increasing the importance of home education. This shift raises concerns about children’s ability to adapt to society.

Furthermore, the rise in nuclear families, working parents, and single-parent households suggests a decline in home education capabilities. If schools do not compensate for this gap, social education becomes critical. However, children in educationally challenged areas might not be effectively integrated into society.

In such circumstances, it’s imperative for homes, schools, and communities to support children. However, the current education system seems to widen the gap between economically advantaged and disadvantaged families.

What we need now is an educational policy that equips children with the ‘skills to live.’ Recognizing the importance of home education, school education also needs to play a significant role in comprehensively supporting our children.

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